
この記事は,仮想現実における人の交流について,私の願望を一部書き出したものです。
あってほしい未来とあるべき未来のうち,前者のお話です。
私は図書館が好きです。
図書館というのは,新たな知識と出会い,その本の向こうにある概念と対話する空間です。 そこには,今あなたが存在する場所と地続きの世界について書かれた本もあれば,全く異なる世界について書かれた本もあります。 そのいずれもが,あなたの内側に何らかの色が付いた影を作り,いつしかあなたの一部になります。
私はおとぎ話が好きです。
おとぎ話では「非日常へ旅した結果,日常にも影響を残し続ける」という話がよくあります。 考えてみれば,本を読んでいる私たちも同じ体験をしているのではないでしょうか。 つまり,おとぎ話を読んでいる我々は,同時におとぎ話の内側に入っているのです。
では,図書館に存在するおとぎ話同士を広げて,全てを外側に取り出してみたらどうなるのでしょうか。 言い換えれば,殻に包まれたそれぞれの話を一つの空間に展開することはできるのでしょうか。 そうすれば,世界は一つの巨大なおとぎ話の内側になります。
これが「図書館を裏返す」という言葉の意図です。
あなたの周りに居る人たちは,ある程度あなたと共通の言語を話していると思います。 これは,使う文字の種類が同じという意味ではなく,物の捉え方がある程度似通っている人が多いのではないでしょうか。
これが学術なら分野に分かれていますし,趣味なら界隈で分かれていると思います。 互いに相性の良い分野もあれば,分かり合えない界隈もあることでしょう。 ここでは仮に「集まり」と呼ぶことにします。
この集まりは,最初から形成されている物ではなく,その境界は移ろうものです。 しかしながら,その集まりは確かに存在して,初めて触れた人にとってある種の非日常の世界となる事でしょう。
これらの集まりは殻に包まれ隠蔽された存在と見られがちかもしれませんが,むしろそれらを構成する個々が,一つの世界における対等な存在であってほしいと思っています。
今どきの学問では,分野が形成された上で,その抽象化された学問を扱う学際的研究が為されるという流れをよく目にします。 このとき分野同士は地続きではありません。人が入れ替わり,領域が変化していても,それでも分野そのものが再編されることは(有限非可換体論のような例外を除き)稀です。
このような分野が本来「人の集まり」であることを忘れないようにすることで,本来一つの世界に存在する知識同士が触れ合う機会がより自然に発生すると思います。
では,裏返されたおとぎ話としての「人の集まり」を一つの空間に展開することはできるのでしょうか。
この「一つの空間」が,素朴に思い浮かべるような3次元ユークリッド空間を指しているのであれば,おそらくは無理でしょう。 けれども,例えばあなたが街を歩いている時に宇宙全体が見える訳ではないように,全てを一つの歪んでいない空間に押し込む必要はありません。
例えば土地ごとに法律が違っていても良いですし,世界のどこかにワープする扉があっても良いのです。
地続きであり,交流があり,人が頻繁に行き交う場所は「近く」なる,そんな空間が実現した時,その場所こそが「裏返った図書館」の黎明たりうると私は信じています。
次回は,実際にそのような空間をネットワーク上に構築する方法について考えてみようと思います。
それでは。