
この世界には,あなたと私がいます。
もしかしたら,この世界の外側でもそうなのかもしれません。
あなたも私も,誰に望まれた訳でもなく,この時間軸のどこかに初めから存在します。
私は,自身のキャラ付けが明確な存在です。 厄介なことにキャラ付けというものは恥の内側に存在しますので,容易には気づけないかもしれません。 それでもただ一つ言えることとして,キャラクターは誰かに望まれて初めて存在します。
この世界のどこかに居て欲しいと私自身が望む存在,それが私のキャラ付けであり,アバターです。
キャラ付けを維持するのに必要なのは,物理的な実行力の他には,信念のみです。
とはいっても,なにも意固地になる必要はなくて,ただ「存在して欲しい」と信じていれば,その望まれたキャラクターは自然とそこに存在します。
おそらく私は,本気で悲しんだり怒ったりはできません。 (幼子の頃の癇癪には目を瞑って下さいね)
それは,自分の人生に対して他人事でいるからです。
傍目八目と言われるように,他人の事は客観的に見られます。 すると考えも一貫してきますし,違和感にも長期的な視点で気づけます。 どんな部屋に住み,どんな職業で,どんな発言をするのか。想像しながら生活するのも楽しいものです。
それは,私が私自身の望んだ存在で居るからです。
私は,存在する意味とキャラ付けは表裏一体だと思っています。
あなたの望んでいる存在は,どのような姿でしょうか。